パソコンで文章を書いていると、今でも左手が勝手に動くことがあります。
Ctrl+S
Windowsで「上書き保存」をするショートカットキーです。
左手の小指でCtrl、中指でS。
Macを使っている時なら、Command+S。
こちらは左手の親指と人差し指。
意識して「保存しよう」と押しているわけではありません。
むしろ、そこが左手のホームポジションです。
昔のパソコンは、よく固まりました。
フリーズしたり、使っていたソフトが突然落ちたり。
何十分もかけて作ったものが、一瞬で消える。
何度も痛い目を見ていると、そのうちいやでも保存する癖がつきます。
作業をしながらラジオを聞いていたころなんて、コマーシャルに入るたびにCtrl+Sを押していました。
コマーシャル。
Ctrl+S
またコマーシャル。
Ctrl+S
ほとんど条件反射です。
ところが最近は、この「保存する」という操作そのものを、あまり意識しなくてもよくなりました。
Googleドキュメントなどを使っていれば、書いているそばから自動的に保存されていきます。
パソコンやアプリも、昔に比べればずいぶん安定しました。
便利になったものです。
でも、ふと思ったんです。
「保存する」を意識しなくなって、「どこに保存するのか」を意識しなくなったんじゃないだろうか。
上書き保存なら、場所を知らなくてもいい
考えてみれば、今のパソコンはファイルの保存場所を知らなくても、それなりに使えます。
「最近使ったファイル」から開く。
検索して開く。
WordやExcelの履歴から開く。
そして編集が終わったら上書き保存する。
これなら、そのファイルが実際にはどこに置かれているのか、知らなくても何も困りません。
パソコンが、
「はいはい、この書類は元の棚ですね」
と戻してくれます。
問題は、
「名前を付けて保存」
です。
新しく作ったファイルを初めて保存するとき。
あるいは、元のファイルを残したまま別のファイルとして保存したいとき。
突然、
「では、この書類をどこに置きますか?」
と聞かれます。
……。
どこ?
広大な書庫を想像してみる
パソコンの中に、ものすごく大きな書庫があると考えてみます。
たとえば「令和7年度」というエリアがある。
その中には「経営」という棚がある。
別のところには「令和8年度」というエリアがあって、その中には「出納」という棚がある。
ファイルを保存するというのは、作った書類を、この広大な書庫のどこかの棚にしまうようなものです。
「この書類は、令和8年度の出納の棚に置こう」
と決める。
「名前を付けて保存」では、自分でこの棚を決めなければなりません。
そこで突然、
「いま自分は、この広大な書庫のどこにいるんだろう」
という話になります。
昔は「現在地」が見えていた
MS-DOSを使っていたころは、この「現在地」を今よりずっと意識していました。
たとえば、
C:\WORK>
と画面に表示されていれば、いま自分はCドライブの中の「WORK」というディレクトリにいる。
そこで、
cd report
と入力する。
cdは、別のディレクトリへ移動するためのコマンドです。
すると表示が、
C:\WORK\REPORT>
に変わります。
WORKの中にあるREPORTへ移動した、ということです。
そして、
cd..
と打てば、一つ上のWORKへ戻る。
今思えば、広大な書庫の中を自分の足で歩いていたようなものです。

MS-DOSの画面。プロンプトを見るだけで、自分がどのディレクトリにいるのかが分かりました。
画面は真っ黒。
文字は白。
ウインドウもなければ、きれいなアイコンもありません。
実に無機質です。
でも、
「自分はいまどこにいるのか」
だけは、いつも画面に出ていました。
ところが、パソコンが劇的に進化した今、
画面に表示されている情報は昔とは比べものにならないほど多いのに、「自分はいまどこにいるのか」が分かりにくい。
もちろん、
「じゃあ、MS-DOSに戻りたいですか?」
と聞かれたら、
いや、まったく戻りたくありません。
今は、書庫の中をワープできる
今は、目的のファイルまで自分の足で歩いていく必要がありません。
検索すれば出てきます。
「最近使ったファイル」にも出てきます。
ショートカットからも開けます。
WordやExcelの履歴からだって開けます。
広大な書庫の、
「令和8年度へ行って、出納を探して、その中の……」
なんてことをしなくても、目的の書類まで一瞬でワープできます。
——え? 「ワープ」ってもう死語なの?
便利です。
圧倒的に今の方が便利です。
ただし、ワープしてきたので、
自分がいま、書庫のどの辺にいるのか分からない。
目的のファイルにはたどり着ける。
仕事もできる。
上書き保存もできる。
でも、
そのファイルがどこにあるのかはわからない。
昔は「現在地」を知らないと、目的地へ行けませんでした。
今は「現在地」を知らなくても、目的地へ行けます。
たぶん、この違いはかなり大きいんじゃないかと思います。
しかも、書庫が一つではない
さらに今は、書庫そのものが一つではありません。
自分のパソコンの中にある書庫。
OneDriveにある書庫。
iCloudにある書庫。
Googleドライブにある書庫。
職場の共有サーバーにある書庫。
いくつもの書庫を、同じパソコンの画面から開くことができます。
しかも見た目は、どれも似ています。
フォルダを開いて、ファイルを開く。
それが自分のパソコンの中なのか、クラウドなのか、職場のサーバーなのか、意識しなくても使えるようになっています。
これは便利です。
でも、
「いま自分は、どの書庫にいるんだろう」
ということは、昔より分かりにくくなりました。
以前、実際にこんなことがありました。
職場の共有サーバーにあるフォルダを、自分のパソコンの中にあるものだと思って使っていた人がいました。
あるとき、その中のファイルを整理しようと思ったのでしょう。
フォルダの中身をごっそり削除してしまいました。
本人としては、自分のパソコンの中を整理しているつもりだったのだと思います。
でも、そこは自分だけの棚ではありませんでした。
みんなで使っている棚だったんです。
削除の操作が分からなかったわけではありません。
ちゃんと選択して、ちゃんと削除できています。
問題だったのは操作ではなく、
「自分がいま、どこにいるのか」
だったんですよね。
「ファイルを操作できること」と「ファイルがどこにあるか分かること」は、どうやら別の話のようです。【緑】
もっとも今は、こういうときのためにバックアップというものを用意しておきますけどね。
……用意してますよね?
もう全部、検索でいいんじゃない?
だったら、いっそのこと全部同じところに保存しておいて、必要になったら検索する。
そんな考え方もあります。
Googleドライブなんかは検索も強力ですし、個人で使うなら、それで困らないことも多いと思います。
私だって検索は使います。
ただ、仕事となると少し話が変わります。
そのファイルは誰と共有されているのか。
これを消したら、誰のところから消えるのか。
そこまで分からないと、ちょっと怖い。
「見つけられること」と「どこにあるか分かっていること」は、やっぱり別の話です。
フォルダを知らなくなった、というより
「最近はフォルダの概念が分からない人が増えた」
なんて話を聞くことがあります。
でも、考えてみれば当然なのかもしれません。
スマホやクラウドでは、そもそも「保存する」という操作すら意識しないことがあります。
検索すれば見つかるし、履歴からも開ける。
ファイルの場所を知らなくても、普通に使えるようになったんです。
知らなくなったというより、
知る必要がなくなった。
あるいは、
知る機会がなくなった。
という方が近いのかもしれません。
それでも、ときどき現在地を
だからと言って、昔のようにフォルダを一段ずつたどって使いましょう、という話でもありません。
そんなのは面倒です。
検索もショートカットもクラウドも、便利なものは使えばいい。
そのうちAIが、
「この書類なら、令和8年度の出納フォルダですね」
なんて教えてくれるようになるのかもしれません。
できれば、そこまでやってほしいものです。
広大な書庫の地図を、全部覚える必要はありません。
でも、
自分がいま、どの書庫のどの棚の仕事をしているのか。
それくらい分かっていればいいのかもしれません。
昔はCtrl+Sを押すたびに、「保存する」ということを意識していました。
今は、そんなことを考えなくても保存してくれます。
ずいぶん便利になりました。
便利になったからこそ、見えなくなったものもあるのかもしれません。
……。
で。
この原稿、どこに保存しとけばいいんだっけ?
そのファイル、どこに保存した?っていう、そんな噺です。
