15歳でマイコンに出会って、今もこんなことしてる、って噺

15歳のマイコン
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15歳の春、初めて「マイコン」に触れた

私が初めて「マイコン」に触ったのは、15歳の春でした。

「マイコン」って?

「マイクロコンピューター」の略。当時は、現在の「パソコン」にあたる個人向けコンピューターを「マイコン」と呼ぶことが一般的でした。1980年代に入ると「パソコン」という呼び方が広まっていきます。

高校1年生になったばかりの、ゴールデンウィークのことです。

父の妹の旦那さん、つまり叔父さんが、買ったはいいものの使い方がよく分からなかったらしく、

「ちょっとやってみて」

と、一台のマイコンを預けてくれました。

日立のベーシックマスターJr.です。

初めて見る本物の「マイコン」にわくわくしながら、付属していたテキストを参考に、見よう見まねでBASICのプログラムを打ち込みました。

最初にマイコンから返ってきた文字は、

「SYNTAX ERROR」

どこがおかしいのかよくわからないまま、また打ち直して実行。

「SYNTAX ERROR」

ゴールデンウィークの間、そんなことをずっと繰り返して、

「いいかげん勉強しろ!」

と親に怒られたのを覚えています。

それでも何度も直して、数十行のプログラムが最後までちゃんと動いたときは感動しました。

「おお、動いた!」

たぶん、私とプログラミングとの付き合いは、ここから始まっています。

でも、今になって振り返ってみると、私が本当にプログラミングに嵌まったのは、このときではなかった気がします。

「こんなプログラム、作れる?」

一度返したベーシックマスターJr.を、叔父さんがまた持ってきました。

当時アマチュア無線をやっていた叔父に、

「交信した相手を記録して、前にも交信していたら分かるようなプログラムって作れる?」

と、聞かれました。

できるかどうかなんて分かりません。

でも、たぶん、

「やってみる」

と答えたんでしょうね。

親の目をかいくぐりつつ、何日かかけてプログラムを作りました。

当時はカセットテープにプログラムを保存する時代でした。ピーガーとFAXのような音を聞きながら、テープに記録して叔父さんに渡しました。

しばらくして、わが家を訪れた叔父さんから

「役に立ったよ。」

と感謝の言葉。

アマチュア無線の人たちが大勢集まって、決められた時間の中で何局と交信できるかを競うような大会で、私の作ったプログラムを使ってくれた。

そして、喜んでくれた。

これが嬉しかったんです。

プログラムがちゃんと動いたということも嬉しかったけど、自分で考えて作ったものが実際に誰かの役に立った。

どうやら私は、そこに嵌まったらしいのです。

5分の仕事を30秒にするために

高校生ですから、自分のパソコンをポンと買えるようなお金を持っているはずもありません。

お年玉で何とか購入したシャープのPC-1251というポケットコンピューターが当時の愛機でした。

雑誌に載っているプログラムをそのまま打ち込んで遊ぶのも楽しかったけど、プログラムを少しいじって自分好みに直したり、自分で短いプログラムを作ったりしていました。

学校のパン当番になったときのために、注文されたパンの金額を確認するためのプログラムを作ったこともあります。

手で計算したって、それほど時間のかかる仕事ではありませんし、パン当番がそんなに何度も回ってくるわけでもありません。

でも、プログラムを作ればもっと楽になる。

5分で終わる仕事を30秒で済ませるために、数時間かけてプログラムを書く。

今考えると、この頃にはもう立派に悪い癖がついていたようです。

その後もパソコンとは付かず離れずの付き合いを続けていましたが、社会人になってから夢中になったのが、インターネットが一般に普及する前のパソコン通信、NIFTY-Serveでした。

電話代が高い。じゃあ作ろう

当時は、今のように常時インターネットに接続、なんて時代ではありませんでした。

電話料金は従量制。

長くつないでいれば、それだけ電話代がかかります。

そこで、読みたい記事を一気にダウンロードして回線を切り、フォーラムや会議室ごとに記事を切り分けて、あとからゆっくり読めるようにできないものか、と考えました。

自動巡回してくれる公式のソフトも前後して登場していたと思います。

でも、たぶん私の使い方には合わなかった。

だったら、自分で作ればいい。

ここでMS-DOSのバッチファイルやらVisual Basicやらに手を出し始めました。

「こういうことができたら便利なのに」と思ったら、とりあえず作ってみる。

結局、高校生の頃と同じことをやってました。

パソコンを「教える」仕事へ

その後、仕事を変わって公民館でのパソコン教室などをやらせてもらうことになりました。

職業訓練センターでWindows(当時はWindows3.1)の入門講座を担当させてもらったこともあります。

それまで自分が面白がって触っていただけのパソコンを、人に教えるようになりました。

さらに別の職場では、今でいう社内SEのような仕事もしました。

サーバを選んで買うところから、ネットワークの設計、運用、管理までやっていました。

介護保険制度が始まった2000年には、導入していたソフトから介護報酬の請求がうまくできないというトラブルにも遭遇しました。

請求の期限が迫る中、困ったあげくに出力されたファイルの中身を覗いてみたら、拡張子を変えただけのただのCSVだということがわかり、

「だったら直せるじゃん」

と、VZエディタで中身を手直しして、フロッピーディスクに入れて新幹線で持参したのも良い思い出です。

今思えば、だいぶ力技ですね。

3県を走り回っていたら、学校から声がかかった

その後、自分で事業を始めました。

最初はメーカーの下請けで、ADSLの接続、パソコンの初期セットアップ、家電製品の初期設定などをしていました。

光回線が普及し始めたのも、この頃だったと思います。

仕事の範囲は3県。

自家用車で1日に3〜4件を回り、毎日のように給油していた時期もありました。

そんな仕事が延べ1,000件を超えた頃、学校から声がかかりました。

県から受託した事業を手伝ってほしい、という話でした。

私が教員免許を持っていたこと、以前に教える仕事をしていたこと、自営業なので比較的時間の融通が利いたことも、声をかけてもらった理由だったと記憶しています。

今ならGoogle Meet。でも当時は……

その事業は、中山間地域の学校同士をテレビ会議システムでつないで、授業に生かそうというものでした。

今ならGoogle Meetなどで学校同士をつなぐこと自体は、それほど難しいことではありません。

でも当時は違います。

学校間をつなぐ回線が10Mbps程度だった時代です。

さらに、一番の僻地にある学校にはADSLすら来ていませんでした。

職員室にひかれていたISDN回線でもまったく役に立たなかったので、私物のドコモの携帯電話(FOMA)をパソコンにつないで、それを通信回線として使ったときもありました。

当然、電波状態に左右されます。

携帯電話を少し動かしただけで通信状態が変わるので、

「ここならつながる」

という場所を探して携帯電話を置く。窓に携帯電話を貼り付けたこともありました。

それでも動画なんて、まともには送れません。

静止画すら厳しい。

結局、音声だけで交流授業をやったこともありました。

なんとか授業はできました。

できたんですが……。

「あれ? これ、電話でいいんじゃね?」

そんなこともありました。

いつまでたっても相手側が会議に参加してこない。

相手校からトラブル発生の電話が入る。

相手の学校へ行って直す。

今度はこちらがおかしくなる。

また戻る。

あれ? あっちの児童を車に乗せてくれば解決じゃね?

仕事は機械をつなぐだけではありませんでした。

映像で学校同士がつながることを前提にした教材を考えたり、指導案を作ったり。

「つながった。よかったね」で終わりではなく、

「つないだあと、何をするのか」

までを考える楽しい仕事でした。

気がつけば13校

その事業が終わる頃には、私自身も子どもたちにパソコンを使った授業をするようになっていました。

マウスを使ってお絵描きをしたり、タイピングを教えたり、プレゼンテーションの方法を一緒に勉強したり。

中学校でWordやExcelを教えることもありました。

その後はほかの市町村からも声をかけていただき、多いときには13の小中学校に通っていました。


今も小学校でタイピングやプログラミングなどの授業をしています。

学校での仕事が増えるにつれて、PTA向けの講演など、人前で話す仕事も増えていきました。

教育事務所を経由して、ずいぶん遠くの学校から講演に呼んでいただいたこともあります。

そこで「どうせなら面白く話したい」と思うようになるんですが、この辺は前回の「さだまさしさんは天才かよ、って噺」につながります。

人生、何がどうつながるかわからないものです。

学校の職員室から、デジタル相談室へ

やがてGIGAスクールが始まり、私の仕事も、GIGAスクールの支援が中心になっていきました。

一人一台の端末が当たり前になり、学校でのICT環境は大きく変わりました。

そして今度は、

「町の中にもデジタルで困っている人がたくさんいる」

という話になり、私の机は学校の職員室から、今のデジタル相談室へと移ることになりました。

こうやって振り返ってみると、ずいぶん行き当たりばったりです。

15歳で初めて「マイコン」を触ったときに「将来これを仕事にしよう!」と思い立って、一つずつスキルを身につけてきたわけではありません。

面白そうだからやってみた。
必要になったから覚えた。
誰かに頼まれたから、なんとかできないか考えた。

「こんなプログラム、作れる?」

と叔父さんに聞かれたころから、

やっていることはあまり変わっていないようです。

5分の仕事を30秒にするために、数時間かける悪癖も、残念ながらあまり変わっていません。

15歳でマイコンに出会って、今もこんなことしてる、っていう、そんな噺です。

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この記事を書いた人

デジタルのことや神社のこと、趣味や日々の中で気になったことを書いています。自分自身の記録も兼ねたICT310の管理人です。

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