小学生にタイピングを教えることがあります。
もう何年もやっているので、たくさんの子どもたちを見てきているわけですが、不思議なことに、だいたい同じところで手が止まります。
授業では、机の上にローマ字表を置いてあります。
「あいうえお」から始まって、
「かきくけこ」
「さしすせそ」
もちろん、
「がぎぐげご」
も載っています。
だから、分からなければローマ字表を見ればいい。
……はずなんです。
ところが、実際に文章を入力してもらうと、画面とキーボードを交互に見ながら、何かを探し始める子が出てきます。
何を探しているのか。
だいたい分かります。
きたな。
毎年のように出会う、タイピング最初の関門です。
「が」を入力したい
たとえば、
「が」
です。
「か」はもう打てます。
だから「が」を入力したくなったとき、
「GAってどう打つんだろう?」
とは考えずに、まず「か」を入力する。
そしてキーボードの中から、
「゛」
を探し始めます。
なるほど、かな入力であればそれで正解なんです。
「か」に濁点を付ければ「が」になる。
しかも「か」は自分で打てる。
なまじ「か」が打てるだけに、机の上のローマ字表で「が」を探そうとは思わないのかもしれません。
目の前の表には、
「が GA」
とちゃんと書いてあるんですけどね。
それでもキーボードの中から濁点を探す。
毎年のように見る光景です。
もちろん、できないことが悪いわけではありません。
知らなければ分からない。
一度分かってしまえば、
「が」は「GA」。
そのうち何も考えずに打つようになります。
でも、その「何も考えずに打てるようになる」までには、一度こういうところを通る必要があるんですよね。
そして、小さい「っ」がやってくる
「が」を越えると、今度は別のところで手が止まります。
小さい「っ」です。
これも毎年のようにやってきます。
たとえば「さっかー」と入力したい。
「さ」は打てた。
そして、
「っ」
で止まる。
はい、きました。
キーボードを探します。
当然ですが、
小さい「っ」専用のキーはありません。
困りました。
もちろん入力する方法はあります。
次の子音を重ねて入力する方法もありますし、「XTU」や「LTU」と入力することもできます。
でも、知らなければ分かりません。
そして文章を書いている途中で、
「先生、小さい『っ』はどうやるんですか?」
となります。
教えれば、そのときはできます。
でも、しばらくして別の文章を書くと、
「先生、『っ』は……」
また来ます。
大丈夫。
そのうち覚えます。
毎年そんなことを繰り返しています。
自分の名前は、意外と難しい
ひらがなが入力できるようになったら、今度は漢字変換もやってみます。
題材としてちょうどいいのが、
自分の名前。
自分の名前なら、どんな漢字を書くのか本人が分かっています。
苗字は比較的すんなり出てくることが多いです。
問題は名前です。
読みを入力する。
変換する。
出ない。
もう一度変換する。
やっぱり出ない。
人の名前というのは、なかなか手強いものです。
特に珍しい読み方だったり、一般的な変換では候補に出にくい漢字だったりすると、目的の文字になかなかたどり着けません。
そこで授業は、ちょっと横道にそれます。
タイピングの授業だったはずなんですけどね。
「もし電話で、自分の名前の漢字を相手に伝えるとしたら、どう説明する?」
そんなことも考えてもらいます。
「○○の○という字です」
「○○という言葉に使う漢字です」
自分の名前なのに、いざ言葉だけで説明しようとすると意外と難しいものです。
でも、これもこの先の生活では使うことがあります。
タイピングから始まって、いつの間にか、
「自分の名前をどう伝えるか」
という話になっている。
まあ、こういう横道も授業の面白いところです。
タイピングは速ければいい?
タイピングというと、
「1分間に何文字打てるか」
とか、
「キーボードを見ないで打てるか」
といった話になりがちです。
もちろん、速く正確に入力できることは便利です。
でも、小学生のタイピングに大事なのは、
自分が書きたいと思ったことを、文字入力の操作に邪魔されずに書けること。
ではないでしょうか。
たとえば、
「昨日、家族と出かけて楽しかったことを書こう」
と思ったとします。
頭の中には、書きたいことがあります。
ところが、
「『が』ってどうするんだっけ?」
「小さい『っ』は?」
「漢字が出てこない」
となる。
そのたびに、考えることが「何を書くか」から「どうやって入力するか」へ移ってしまいます。
そして入力方法を考えているうちに、
何を書こうとしてたんだっけ?
となる。
これは、ちょっともったいない。
「入力すること」を考えなくてよくなる
自転車に乗るとき、
「右足を踏み込んで、次は左足を……」
なんて毎回考えている人は、たぶんあまりいません。
慣れてしまえば、体が勝手に動きます。
タイピングも、それに少し似ていると思います。
最初は、
「Kはどこだ?」
「Aはどこだ?」
と探します。
「が」を入力するだけでも考えます。
でも何度も使っているうちに、
「GA」
と自然に指が動くようになる。
「GA」と打ちながら、
「いま私は『か』に濁点を付けるためにGとAを入力している」
なんて考える人は、たぶんいません。
そこまでいけばいいんです。
毎年のように「が」や「っ」で止まる子どもたちを見ます。
でも、それは別に悪いことではありません。
最初は、そこで止まるんです。
一度覚える。
忘れる。
また聞く。
またやってみる。
そうして何度も使っているうちに、いつの間にか考えなくてもできるようになる。
私は、それがタイピングを「練習する」ということなんじゃないかなと思っています。
スマホが使えることとは、ちょっと違う
今の子どもたちは、スマートフォンやタブレットを使うことにはかなり慣れています。
文字入力もできます。
フリック入力だったり、五十音キーボードだったり。
それで困らない場面もたくさんあります。
でも、スマートフォンで文字を入力できることと、パソコンのキーボードで文章を入力できることは、やはり少し違います。
学校だけでなく、その先でもパソコンを使う場面はあります。
そのとき、
「キーボードで文字を入力する」
ということ自体が大きな負担にならない程度には、タイピングに慣れておいた方がいいと思っています。
ものすごく速くなくてもいい。
キーボードを見ながらでもいい。
でも、
文字入力で困らない。
そこまでいけば十分です。
そもそも、いつまでキーボードを使うんだろう
ここまでタイピングについて書いておいてなんですが、
そもそも、いつまで人間はキーボードを使うんでしょう。
『攻殻機動隊』の世界なら、電脳を通して意思をやり取りできます。
わざわざキーボードをカタカタ打って、
「『が』はGAで、小さい『っ』は……」
なんて悩む必要もありません。
便利です。
ぜひ、そうなってほしい。
……とは思いますが、今のところはまだ未来の話です。
では、音声入力はどうでしょう。
今でもかなり使えるようになっています。
スマートフォンでちょっとした文章を入力するなら便利です。
でも、たくさんの人が働いている職場で、
「来週の会議につきましては……」
「○○さんからいただいた件ですが……」
「先ほどのメールについて……」
と、みんなが一斉にパソコンへ話しかけ始めたらどうなるのか。
たぶん、かなりうるさい。
そもそも、隣の人に聞かれたくない文章だってあります。
学校の教室で30人が一斉に音声入力するというのも、なかなか壮観な光景になりそうです。
なので、音声入力がどれだけ進歩しても、すぐに全部がキーボードへ取って代わるというわけでもなさそうです。
もちろん、この先は分かりません。
10年後、20年後には、
「昔の人って、文章を書くために指でキーを一個ずつ押してたんだって」
なんて言われているかもしれません。
それはそれで、ちょっと見てみたい。
でも、少なくとも今はまだキーボードを使っています。
だったら、
キーボードを使っている間くらいは、文字入力で困らない方がいい。
私はそのくらいの感覚で、タイピングを練習しておけばいいと思っています。
タイピングを練習する意味
タイピングを練習する目的は、
クラスで一番速くなることでも、
タイピングゲームで高得点を出すことでも、
タッチタイピングを完璧にすることでもありません。
もちろん、それを目指すのも楽しいと思います。
でも、もっと大事なのは、
書きたいことを、書きたいときに入力できること。
そして、
入力することに頭を使いすぎず、「何を書くか」を考えられること。
なんじゃないかなと思います。
最初は、
「『が』はどうするんだろう」
「『っ』はどうするんだろう」
「エスがありません!」
でいいんです。
一つずつ経験して、そのうち考えなくてもできるようになる。
そしてタイピングをしていること自体を、あまり意識しなくなる。
そこまでいけば、タイピングは「練習するもの」から、
自分の考えを伝えるための道具
になります。
いつか本当に『攻殻機動隊』みたいな世界になったら、
「昔は小学生にタイピングを教えてたんだよ」
なんて話をする日が来るのかもしれません。
そのころ私がどうなっているかは、まあ、別の話ですが。
今のところは、もうしばらくキーボードのお世話になりそうです。
小学生でもタイピングは練習しておいた方がいいよね、っていう、そんな噺です。
私自身がパソコンと付き合い始めたのは、こんなところからでした。

